Denimusic Fes

邦ロックとかラウドロックとかジーンズとか

何故ブログを書かなくなったのか話を聞いてくれ


まえがき

いや久々に出す話題がそれかと言われても仕方がない。かと言ってこれを書かねばならない気もする。ぶっちゃけ今回の話はタイトルからも分かるようにかなりネガティブだ。

正直あんまり書きたくなかった。ブログを始めた頃の様に何処に需要があるのか分からないくだらない話を書いた方が良いだろう。

が、SNSで皆が「お気持ち表明の殴り合い」をしてるのだ。俺もその流行に乗りたかったのだ。という事で毒にも薬にもならない話をダラダラと書いていく。


書かなくなった理由について

その1

文章を作る時間を作れなくなった


今の仕事についてから約4年ぐらいになるが勤続年数も増えたという事もありやる事が増えた。増えたと同時にストレスも増えた。コロナ禍のギスギスした社会情勢もあるのだろうか若干髪も薄くなった気がする。
そんな感じなので昔なら仕事する→帰宅→飯食う→ゲームするなり動画見るなりするorブログ書く→風呂入る→寝る。みたいなルーティンが無くなった。というか遊ぶ気力がなくなり、かわりに休む事が増えた。


今では仕事する→帰宅する→飯作って食う→片付ける→適当にスマホ弄る→風呂入る→寝るみたいな感じになっている。いや何この社会人あるあるみたいな生活。


何と言うかブログを書くのに文章の構成したり、ネタ考えたり、話をオチを考えたりする気力がここ数年で一気になくなってしまった。マジで淡白な文章しか書けなくなった。勿論「いやいやそれはマズイだろうよ」と思い、スマホのメモ帳を開いて文章を作るも気がつけば「ああ…何かもうダメだ疲れた明日にしよう…」というパターンが何度もあった。つまりボツネタが程々にあるのだ。いやなんかゴメン。


正直俺もビックリしてるというか、ブログ始めたての頃はTwitterで俺の言いたい事なんか伝わるかボケェェェェェ!!」「インスタ?文章のレイアウトがクソなんじゃボケェェェェェ!!」な感じで寧ろ書きたい欲求がヤバかった。もう書きたくてウズウズしてたそんな俺が今では「何かもうTwitterで良いや。うん」みたいなテンションになっている。まあそれには理由があるのだ。これは後述するけどあまり書きたくなかったと記しておく。

その2

必要以上に配慮しなければならなくなった


まずこの自己満足の極みである当ブログだが実はそこそこ閲覧数が多い。この半年は何も書いてないにも関わらず先月は100人の方々に読んでもらってる。嘘みたいな話だろ?俺も最初驚いた。どうもGoogle先生曰くV系の記事やロットンの記事がよく見られているらしい。マジかお。


ならばモチベーションあげて書こうと思うのが普通なわけだがぶっちゃけそうはならなかったのだ。理由は…



俺の書いた記事で荒れたら怖いからだ。



え?いや何言ってんのお前?と思ったそこのお前、正しいよ。うん俺も同じ事考えてたもん。じゃあ何でこんな事言うかって?と言うのもだ。


俺の行ったライブ荒れがちだからだ(白目)


荒れるといっても行ったライブ全てが名探偵コナンの米花町レベルで荒れてるわけではない。ちゃんとしたライブもある。が元々好きなジャンルが演者側から「死ねぇぇぇぇぇ!!」「リフトしたら引き摺り降ろす」「音でぶち殺しちゃる!」「頭振れ!」「首落とせ!」「殺すぞ!」と煽ってくるようなジャンルである。スタジオのリハーサルで「世界滅亡させるからな」と言っちゃうバンドマンもいる。観る側も観る側で「ダイブモッシュがねえと物足りねえ」Twitterで呟いたり、ライブ中演者に対して「かかってこいやぁぁぁ!」と意味不明の挑戦表明を叫んだり、ライブが終わっても「物足りんぞ!」「最初からやれぇぇぇ!」と無茶ぶりしたり、怪我しても「名誉の負傷」とばかりにドヤ顔でSNSに写真あげたり…etc、etc…あとは分かるな。
このコロナ禍と言えども若干「あっ…(察し)」ってなるような感じにたまになるのだ。

まあライブの感想では皆ぼやかしたり、そもそも知らなかったり(俺がそのパターン)するのでそこまで炎上するケースはないのだが…






ぶっちゃけ書きづらいのだ。
どこのバンドで何時のライブかは言わないけども、サークルピットが発生したり(なお本人達なりにソーシャルディスタンスは保っていた)ステージ上に乱入してツーステ踊ったりする奴が現れたりするライブにたまたま居合わせた事があった。

仮にだ。その日のレポートを書いたとしよう。



「あー、今日のライブは(何か色々あったけど)楽しかったなあヽ(*´∀`)ノ」みたいな感じで書いたとしよう。


一歩間違えたら燃える(白目)


今年ならともかく去年に関してはずっとこんな感じだった。要は正義感持ち過ぎた結果慈愛の心とか多様性とかある程度社会に折り合いをつける事を忘れ去った方々に見つかりでもしたら即アウト…みたいな感じだった。

その方々に俺の書いた記事が見つかったとしよう…


「おい!あんな事があったのに「楽しかった」とか言ってるぞ!」


「なんだと!この社会の敵め!」


「待てよ…なんて事だ…こいつHIKAKINにTENGAの画像を…」


「「「許さん」」」


…みたいな感じになる可能性もある。いやないと思うけども。


そんな感じである。もしそうなった場合推しは勿論、推しがいるジャンルにも迷惑がかかるし、何より推しを応援している人及び俺もダメージ食らう。ならば自衛の為に出来る事と言えば自分の胸の中に閉まう事ぐらいだ。

つまり書かないという事だ。いやマジでこんな選択肢を取らざるを得ないコロナ禍マジFuck。もっとも臭いものに蓋してる俺もあながち良い人間ではないのだが。


そもそもだ。


このブログを読んだり、俺のツイートを見たりする人なら分かると思うのだが明らかに俺は普通の感性を持っていない。そもそも普通の感性持ってたらHIKAKINにTENGA持たせないし、急にTOSHI-LOWになったりしないし、ライブ中に夢女になったりしない。恥ずかしながらネタ挟まないとムズムズして仕方がない男なのだ。


要はちゃんとした文章を書きたくないという考えを持ったかなり面倒臭い奴なのだ。


それでも「まあ、何処の界隈にもローカルルールあるしな」「皆考え方違うけど悪いやつばかりじゃないしな」「大人見したい奴も暴れたい奴も皆ライブが楽しくて仕方がないのさ」「自分の萌えは相手の萎えだしな」「そもそも皆違って皆良いで良いよな」という自分なりに多様性というものを持つようにはしとるのだ。普通ではないなりにだ。


だがそうは言っても、俺の文章を読んで笑ってくれる人もいればそうでもない人もいるし、多分居ないとは思うが傷つく人もいるだろう。最も俺の文章を読んで「こんなのライブレポじゃねえ」とか「ぶっちゃけただのオナニーやないか」とか思ってる人の割合が多いだろう。だって書いてる俺がそう思うんだもの。


そしてこのコロナ禍である。皆イライラしてる。特に自分の中で拘りが強い人ほど「自分の感性では認められないもの」に関しては全力で潰しにかかる傾向がある。オブラートに包むと「お気持ち表明」が発生するのだ。


幸い俺のブログに関しては荒れる事もなくお気持ち表明をされた事もない。まあ更新もしてなかったし、邦ロック界隈でいえばそんなに目立つ存在でもないし、要は見つからなかったのだろう。


だがいつ俺の書いた記事が何かの拍子で炎上したら、その時は…って感じだ。要は俺みたいな弱小ブロガーもどきでも常に炎上と隣合わせなのだ。何らかのコンテンツを作ってるクリエイターは皆そうだ。炎上か絶賛かの瀬戸際でギリギリでいつも生きている。KATーTUNかお前らは。


そんなこんなである。書く気が失せる。これは割とガチだ。すぐに切れるメンヘラヤクザみたいな奴を相手するのもダルいし、いちいち配慮するのも面倒だし、何も考えずに文章作ったり呟いたりしてた時期の方が楽しかったのだ。何かゴメンな。


その3

インターネットが嫌になった


これが最大の理由だ。


元々小学生の頃に学校でパソコンを使った授業が始まり、世間も「これからはネットを使った新時代」みたいな風潮もあり我が家でパソコンが導入された。それ以来中学生の頃はFlash動画とテキストサイトにハマり、高校生の頃はイラストサイトを見まくり、大学生の頃はニコニコ動画2chVIP板に入り浸っていた俺からすると今のインターネットって過去一で治安が悪い。

インスタやTikTokみたいな「Theリア充」みたいなところは比較的治安が良いが、Twitterとかヤフコメを見れば分かるようにメインどころがヨハネスブルグばりに治安が悪いのは何となく察してると思う。


毎日毎日どこかでぶっちゃけどうでもいい問題で炎上が発生し、極論と極論がぶつかり合い、気がつけば「社会的弱者でかつ陰キャで可哀想な奴が偉い」みたいな風潮になってるTwitterを見てると正直嫌になってくる。


リア充やウェイ系の言動や行動をネチネチと弄るツイッタラーが許されるのに、所謂陰キャと呼ばれる界隈を少しでも弄ると上原亜依の潮吹きばりに噴き上がる光景を見たり、暴露系YouTuberが他人の行動を暴露して明らかなオーバーキルをしてる様を絶賛する一方で、そのYouTuberがやらかした数々の出来事に関しては完全スルーする光景も見てきた。うん書いててイライラしてきた。何気に下ネタ使ってゴメンな。


こういうのが持て囃されるのが今のインターネットである。昔の良くも悪くも自由だったインターネットで育ってきた俺からすると凄く居づらい空間になってきたのだ。
そんな感じなのでSNSとは距離を取るようになった。インスタもTwitterTikTokも気がつけばほぼROM専だ。


そして一番デカかったのがコロナ禍だ。



自民党」「若者」「オリンピック」「エンタメ業界」は叩こうが何しようが許される風潮になり、同時に必要悪とばかりに手前勝手な正義でボロボロにされていった。

傍から見れば数年以上パワハラモラハラ受けてるようなものだ。それなのに誰もそこにツッコまない。寧ろツッコんだら負けみたいな感じでもある。おめえら優しい世界はどうしたんだ。おい。


そんな状態が長く続くとどうなるか。
もうどうでも良くなる。昔俺が愛したインターネットは死んだのだ。もう帰ってはこないのだ。多様性からは程遠く、ひたすら燃えない様に息をひそめながら当たり障りのない事を呟かなければならない世界になってしまったのだ。


こうなるともうダメだ。ネガティブな事しか浮かばん。実はボツネタが増えたのもそれが理由だ。割も表に出すとマズイネタばかり浮かぶ。ヘイトスピーチすれすれの言動も頭に浮かぶ。要は俺もやべぇ奴になっていたのだ。そんな状態ではとてもじゃないがブログなんぞ書けないのだ。胸の中にドス黒い感情がこびり付いて取れないレベルまで陥ってしまった。


ここまで来ると何となく察していると思うけども、Twitterを見る時間を減らしている。プライベートが順調という訳でもなく、仕事に行けないほどメンタルを病んでる訳でもない。ただ見るのがしんどくなっただけだ。


表向きは多様性とか優しい世界とか言っておきながら、自分が好きになれないもしくは気に入らないものは徹底的に排除するキャンセルカルチャーやヘイトまみれの気持ちの押し付け、そして弱者の弱者によるマウント合戦にウンザリしてしまった。

ネットを見なくなるという事はブログを書く理由もなくなるのだ。だから書かなくなった。





おわりに

正直こんな文章は書きたくなかった。周りを見てると気持ち沈んでるから明るい文章でも書くかと思いながらも気がつけば俺も沈んでいた。何がポジティブシンキングだコラ。

ただ書いてる途中で「何かスッとした」と思ったのも事実だ。そしてこれで一区切りがついたとも思っている。


























という事で気が向いたらブログ更新していくんで宜しくm(_ _)m











いややるんかいとツッコんだそこのアンタ。正しいよその反応。何と言うかこう書いてきた訳だが書いてる途中で「やっぱり何も考えなくて良い文章書きたいよ」と思ってしまった。流石にネガティブな話題で締める訳にもいかないので気が向いたら書くつもりだ。気が向いたらだけども。



おわり